入江佑未子のライティングサンプル

いりゆみが書いてきた記事一覧です!

群馬県倉渕村 フラワービレッジ

まずはトップページからお入りください

 

こちらは、村で園芸療法を行う方を訪ねたときの記事です。ノーマライゼーションの理念の実践を実際に目にすることができた、貴重な体験でした。

長文です。

 

自然との触れ合いを社会に

園芸療法

 

野菜を作る、花を生産する。そしてそこには生き生きと働く障がい者の姿がある・・・。今回訪れた群馬県倉渕村は、福祉の充実したヨーロッパのシステムを日本で初めて実現させた画期的な村である。

「障がいのある者もない者も共に生きられる社会こそノーマルである」とするノーマライゼーションの理念を背景に、市民農園、花のハウスが並び、村と都市が交流しながら楽しく生産が行われている。かつては荒れ果てた遊休農地であったこの土地を開墾し、ここまでに育て上げた近藤さんを訪ねた。

 

本文

 

高崎市から車で約50分。起伏の多い、豊かな自然に囲まれた群馬県倉渕村は、日本で初めて福祉と農業、園芸を結び付けた画期的な福祉村である。

本誌スタッフが、とある新聞記事を目にしたのをきっかけに、今回この地を訪れることとなった。

そこに載っていたのは、近藤まなみさん。彼女はこの村でハーブや花の生産を行い、それを通じて障害のある人達の園芸療法に取り組んでいる、とあった。彼女は自然の中での農作業がもたらす精神的効果について語っていた。

最初にたどり着いたのは「フラワービレッジ倉渕生産組合」の事務所。

ここの理事長であり、先に書いたまなみさんの父である、龍良さんが快く迎えてくれた。

 

障がいをもつ長男を支えたい

 

龍良さんはこのフラワービレッジの創設者。奥さんの信子さん、長男の岳志さん、長女のまなみさん、次女のなおみさんの5人家族である。その近藤家の長男である岳志さんに軽い知的障害があることがわかったのが、彼が幼稚園生のころ。そのため彼は、小学校、中学校ともに特殊学級に進んできた。しかし高校においては、社会的自立を目指し、園芸を専攻とする普通学校に進んだ。

しかし彼は、そこでストレスをため、胃潰瘍となる。知的障害をもつことによるいじめが原因だった。ここで龍良さんは考えた。

「この子を家族みんなで支えたい」

現在の日本の障がい福祉は、ただ彼らを隔離することしかほとんど考えていない。この日本の福祉に頼ることはできなかった。龍良さんは、我が子が明るくいきいきと生きられるよう、家族のもとで育てる決意をした。そして、それには自然の中でできる農業がいい。これがフラワービレッジの、ひとつの大きなきっかけとなる。

 

ドイツで出会ったクラインガルテン

 

龍良さんはもともとは、商社マンであった。海外に行くことも多く、出張先の西ドイツで、クラインガルテンに出会った。

クラインガルテン。「小さな庭」という意味で、いわゆる市民農園のことである。市町村のもつ公共農地を休日は都会の人に貸し出すこのシステムは、ドイツを中心としたヨーロッパでは広く普及している。週末は都会の喧騒を逃れて土と触れ合う、という生活が一般化しているのである。

そして龍良さんが注目したのは、このクラインガルテンが、ドイツなどでは知的障がい者の社会参加のために活用されているということだった。

こうした制度を、日本にも取り入れられないだろうか。障がいをもつ長男との田舎暮らしを考えていた龍良さんは、このドイツのクラインガルテンの制度が頭から離れなかった。障がいをもつ人々がいきいきと社会に参加することができ、しかもそれは自分がかねてから考えていた農業ともつながっている。この制度は、まさに今自分の希望を叶えてくれるものと思えた。そして龍良さんはついに決心した。家族も賛成してくれた。長女のまなみさんは千葉大農学部に進み、農業研究生として西ドイツに留学した。

一家の夢がひとつとなった。

 

日本版クラインガルテンの実現

 

そして近藤家の夢実現への行動が始まる。連日、関東一円を中心に、中央官庁、群馬県庁、JR、民間関係企業などを訪ねまわり、自らの構想、「日本版クラインガルテン」の説明をする。協力も求めた。こうした中、かねてから龍良さんが参加していた「花と緑の農芸財団」(当時の理事長は長嶋茂雄氏)のバックアップも手伝って、ついのその候補地が見つかった。それがここ、群馬県倉渕村である。

かくして一家が倉渕村に移り住んだのが昭和63年。こんどは村そのものの賛同を得るべく、行動に出る。日本版クラインガルテンの構想を、村の人たちにとっての夢とするのである。

龍良さんは根気よく村の人たちに説明をしてまわった。シンポジウムも行った。(花と緑の農芸財団主催)かねてより若者の都市への流出によって過疎化が目立ち、その対策に頭を痛めていた村である。賛同を得るのにそう時間はかからなかった。村の農地の3分の1を占める遊休農地を有効活用できる。しかも、都市との交流によって村の活性化も図れる。この計画は、必然的に村の人達の夢となったのである。

そしてついに、「日本版クラインガルテン」は実現の方向へと動き出した。

 

 

それから10年近くたった現在、このクラインガルテンは、全敷地14000㎡の広さを誇る。ログハウス、キャンプ地、交流の広場となる体験実習館が作られ、週末になれば、都会の人が汗を流しにやってくる。平日などは、村の人達が農園の面倒をみるというクラインガルテン特有のシステムも充実しつつある。

平行して、花の生産も盛んである。園芸を本格的に学んだ長女のまなみさんのもと、生産だけでなく、加工や花壇の施工、イベントの飾り、ハーブの生産・・・とその活動は幅広い。サフィニアの委託栽培にいたっては、年間7~8万ポットの出荷を誇っている。

クラインガルテン、そして花の生産。ともに障がい者の雇用を行うことも忘れてはいない。

「障がいのある者も健常者も共に生きられる社会こそノーマルである」

龍良さんの当初の理念も根を下ろしつつある。

その現れとして、近年では、高崎市に設立されたリハビリのためのハウス「グリンピア」(香りの庭、の意)の、その運営に参加した。ハーブばかりのこの温室は、香りや触感などで障がい者の五感を刺激し、その治療に効果を発揮している。そして園芸は、他の治療法とは違った心の癒しの効果がある。

さて、今回、私たちはとある障がいをもつ方々の会の研修に同席させていただいた。

 

研修内容に続く~(長くなるので略します)