入江佑未子のライティングサンプル

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片付けない娘

片付けない娘

                                

うちの、高校生の娘はすごい。
まるで「そう決めている」かのごとく片付けない。

脱いだ制服はリビングの床。食べたお菓子の包みは捨てずに放置。髪を巻いたコテも、化粧水も、カラコンの残骸もすべて、洗面台に置きっぱなし。弁当箱は出さない。部屋の床は脱いだ服やゴミが一面。彼女の頭の中はいったいどうなっているのだろう。
重ね続けた注意、思いきった叱責、怒りを押し殺しての諭し、これらはすべて惨敗、効果はこれまで、一ミリもなかった。「ハイハイ」「ちょっとまって」というおきまりの生返事にはもううんざりである。

「いったいなぜ。どうしてなんだ~!」

この長年の苦悩に答えをだすべく、私はちょっと立ち止まって考えてみた。するとひとつの考えに思い当たった。もしかしたら娘は、大人といわれる私たちとは全く違う世界に生きているのではないか。娘は若い。思春期真っ只中だ。彼女の鋭い感性はその身におこる出来事すべてをほとんど「事件」レベルで受け止めていて、彼女の毎日は、自分の内面のことや友人のこと、学校でおきたこと等々をなんとか消化することに、ただただ費やされているのではないか。そのせいで、やれ向上心だとか、生活をよくするための習慣などというものを、私たちのように取り入れる余裕がないのではないか。
つまり、彼女にとって「片付け」は、どうでもいい、とるにたらないことなのだ。それだけ、いろいろなことに苦しみ、喜んで、それらをかみしめているのだから。
そんな解釈が浮かんだ。
しかしずいぶん、娘にいいように考えてあげてしまった。悔しい。ただ、だらしない、それでいいじゃないか。でもよくよく思い返してみると、私も若いころ、部屋には足の踏み場もなかった。それだけではない。親の心配をよそに平然と深夜に帰宅することもたびたびであったし、両親の望んだ、安定した会社員の地位もあっさりと捨ててしまった。
その理由、それはただもう、自分自身のこと、彼氏のこと、将来の夢、職場の人間関係や友人のことなんかで頭がいっぱいだったからだ。むろん片付けなどという「日常的なこと」に心を添わせる余裕なんて、全くなかった。つまり、今の娘とおそらくおんなじだったのである。もっとはっきり言うと、私はかつての自分のことを忘れたふりをしていた。母という属性を味方につけ、体よく過去の自分を棚にあげていただけなのだ。


そうしてみると、今になって母の切なさがわかる。あの頃の母は、私たちがテレビの前でくつろいでいると、「ほら、じゃまじゃま!」とプンプンしながら掃除機をかけていた。そんな母に、口にはださないものの、「うるさいなあ」「掃除機なんてあとにしてくれないかな」などと不謹慎な思いを抱いたものである。その怒れる母の姿は、今の私そのものではないか。

悔しいけれど、片付けない娘に関しては多少大目にみてあげるしかないのかもしれない。もはや、あの頃の母に軽く仕返しをうけている気分だ。因果応報、因果は巡る。

 

せめて大人になったら。二十歳とはいわない、ちょっと譲って二十三歳くらいでもいい、娘には、片付けに目覚め、大人らしい向上心に目覚め、折り目正しい生活をしてほしい。報道で目にするあの絶望的なゴミ屋敷の主と化するのだけは、どうか勘弁してほしい。

娘がジャニーズのDVDを見ながらニヤニヤしている。ソファーの上にはカントリーマアムの包み紙。つい、いつもの感情がこみあげる。やっぱりだらしないだけか。私の心の葛藤はまだまだ続きそうである。