飛び跳ねる思考「東田直樹著」
飛び跳ねる思考「東田直樹著」
2016年7月。相模原にある知的障害者施設に男が侵入、入居者19人の命を奪い、26人にけがを負わせた事件はまだ記憶に新しい。とはいえ事件から約4か月が経過した今、その衝撃は私たち国民の心から遠ざかりつつあるのではないか。
書店で偶然手にした「飛び跳ねる思考」は、私にあの事件のことを思い出させた。
命とは何か。人間の尊厳とは何か。この世に障がいを伴って生まれるということは、何を意味するのか。あの惨事が私たちに突き付けた深い問いに対する答えの一端を、この本は指し示すようであった。
「飛び跳ねる思考」は、重度の自閉症をもつ22歳の青年(現在24歳)、東田直樹さんが、電子メディア媒体「cakes」につづった文章を書籍化したものである。障がいについて書かれた本は多いが、自閉症をもつ本人が書いた本を手にとったのは初めてであった。かつて私の身近に、自閉症の子どもがいた。学校には彼に付き添う職員がおり、ときどき発する奇声や、授業中に教室から飛び出してしまうことに対処していた。自閉症とは、思考や物のとらえ方に混乱をきたす障がいではなかったか。自閉症の人が文章を書けるのだろうか。私の好奇心は大きく動いた。
著者である東田直樹さんとはどのような人物なのか。彼がこれまで出版した本は十冊を超えている。彼は人と会話をすることができない重度の自閉症を抱えているが、文字盤やパソコンを介して私たちに意思を伝えることができる。彼はこの能力を使って健常と呼ばれる私たちとつながり、自身の思いを伝え続けてきた。彼が十三歳の時に書いたエッセイ「自閉症の僕が飛び跳ねる理由」が自閉症の息子を持つイギリスの小説家デヴィッド・ミッチェル氏の目にとまり、「The Reason I Jump」は二十か国以上で翻訳され、ベストセラーとなっている。彼は現在、エッセイ、短編小説などを手掛けるほか、各地で講演会を行う、世界的に有名な作家なのである。
しかし私は、そうした情報を知らずにこの本を読んだ。
「僕にとって文章を書くことは、息をするのと同じくらい自然なことです」
こう冒頭で記した彼の文章はシンプルでありながら、私たちが知ることのなかった多くのことを教えてくれる。
自閉症をもつ彼がこの世界をどうとらえているのか。人や自然は、彼の目にどう映るのか。彼を取り巻くあらゆる事象は、彼にとって何を意味するのか。
その思考や鋭い観察眼は、健常と呼ばれる私たちがたどり着けない真理に、より深く足を踏み入れているのではないかと感じる。
見上げた空に強く魅かれ、蛇口から流れる水に「大丈夫だよ」という地球からのメッセージを受け取る。絆とは「人が人であることを自覚し、今生きていることを感謝するための祈りの言葉」であると彼は言い、彼のために涙を流してくれた家族に対し、感謝の気持ちを忘れない。彼の目に映る自然や人間の姿が、読む者の心を強く揺さぶる。
それだけではない。鏡に顔を映したとき、瞳だけがクローズアップして見える彼は、そこに映った小さな自分を助け出さなければという思いに駆られる。
「なぜ、そんなところに閉じ込められているの」
私はこれを読んでほとんどワクワクしたといっていい。どこまでもオリジナルなのだ。私は健常とよばれる多数派であるためにこうした世界を見ることができないが、もしかしたら心の奥底にはこんな世界を見てみたいという願望が眠っているのかもしれない。
彼は、詩的であり、哲学的であり、同時にどこまでもオリジナリティ―あふれた世界観をもつ人なのである。
そしてこの本を読んだ者はおそらく考えさせられる。
普通とは何だろう。健常と障がいを分けているものは、単なる「違い」ではないか。多数派がこの世界を動かし、自分たち仕様に仕立て上げている。少数派が邪魔者として排除される傾向は、国家でも小さなコミュニティでも同じである。
その「邪魔者」を、事件の犯人は排除しようとしたのであろう。
「障がい者はいらない」
これもまた、彼が身勝手に作り上げたオリジナルの世界観なのである。
もちろん、障がい者をとりまく問題は単純ではない。健常とよばれる私たちに障害を持つことの本当の苦しみはわからないし、彼らのすべてが、東田さんのように生きることに喜びを見出しているとも言い切れない。
しかし少なくとも、障がい者とよばれる人がそれぞれの主観で懸命に生きていることをこの本は教えてくれる。そして彼らの生きる世界は、ときに私たちの想像を超えて美しいものでもあるのだ。そういう意味でこの本は、己の主観を押しつけて他者の存在価値を推し量る我々の社会に警鐘をならしてもいる。
「不安が悪いわけではなく、不安を抱えながらでないと、生きていけない社会が悪いのです」そうつづった彼の思いは、より多くの人に届けられるべきメッセージであろう。
「飛び跳ねる思考」は、社会に根付く深い問題を私たちに提示し、その答えを改めて考えさせてくれる、珠玉のエッセイなのである。