入江佑未子のライティングサンプル

いりゆみが書いてきた記事一覧です!

ねじまき鳥クロニクル  村上春樹

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この物語は、誰がこうしたからこうなって、その結果何が起こって、だから結果こうなったというように、理路整然とあらすじを説明できるような物語ではない。

え、なんで?で、どうなっちゃうの?この部分はいったい何を意味しているんだろう・・・とわからないまま読み進み、そして最後まで、「そうか、だからあれはそうだったんだ」、という納得は得られない。

いわゆる結論なきファンタジーであり、読中過程を楽しむための長編小説である。

 

見知らぬ女からの電話、妻の失踪、赤いビニール帽をかぶった女との出会い、ギギギ、とねじを巻くような声で鳴く、姿の見えない鳥。

失業中のオカダトオルのありふれた日常の中で起こる不可思議な出来事は、何人かの謎の人物の登場とともに展開していく。

その”非現実”は、過去と現在、そして「今この場所」と異次元への橋渡しをするように顕れ、彼が生きる現実と密接に、ときに間接的につながっている。

しかしそれらの出来事が具体的にどんな意味をもっているのか、ということははっきりとはわからない。

そこは、読者のイメージや受け取り方、感じ方に任されているのではないか。

村上春樹の小説は、彼の文章表現が作り出す空気感や読後の余韻を味わう部分が大きいので、十分に楽しむことができた。

また、この小説は現代を舞台にしているが、作中に書かれる戦時中の描写は鮮明で深い。戦争に詳しい読者なら、この小説の中で書かれる戦時中の話もより味わうことができるのではないかと思う。

 

群馬県倉渕村 フラワービレッジ

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こちらは、村で園芸療法を行う方を訪ねたときの記事です。ノーマライゼーションの理念の実践を実際に目にすることができた、貴重な体験でした。

長文です。

 

自然との触れ合いを社会に

園芸療法

 

野菜を作る、花を生産する。そしてそこには生き生きと働く障がい者の姿がある・・・。今回訪れた群馬県倉渕村は、福祉の充実したヨーロッパのシステムを日本で初めて実現させた画期的な村である。

「障がいのある者もない者も共に生きられる社会こそノーマルである」とするノーマライゼーションの理念を背景に、市民農園、花のハウスが並び、村と都市が交流しながら楽しく生産が行われている。かつては荒れ果てた遊休農地であったこの土地を開墾し、ここまでに育て上げた近藤さんを訪ねた。

 

本文

 

高崎市から車で約50分。起伏の多い、豊かな自然に囲まれた群馬県倉渕村は、日本で初めて福祉と農業、園芸を結び付けた画期的な福祉村である。

本誌スタッフが、とある新聞記事を目にしたのをきっかけに、今回この地を訪れることとなった。

そこに載っていたのは、近藤まなみさん。彼女はこの村でハーブや花の生産を行い、それを通じて障害のある人達の園芸療法に取り組んでいる、とあった。彼女は自然の中での農作業がもたらす精神的効果について語っていた。

最初にたどり着いたのは「フラワービレッジ倉渕生産組合」の事務所。

ここの理事長であり、先に書いたまなみさんの父である、龍良さんが快く迎えてくれた。

 

障がいをもつ長男を支えたい

 

龍良さんはこのフラワービレッジの創設者。奥さんの信子さん、長男の岳志さん、長女のまなみさん、次女のなおみさんの5人家族である。その近藤家の長男である岳志さんに軽い知的障害があることがわかったのが、彼が幼稚園生のころ。そのため彼は、小学校、中学校ともに特殊学級に進んできた。しかし高校においては、社会的自立を目指し、園芸を専攻とする普通学校に進んだ。

しかし彼は、そこでストレスをため、胃潰瘍となる。知的障害をもつことによるいじめが原因だった。ここで龍良さんは考えた。

「この子を家族みんなで支えたい」

現在の日本の障がい福祉は、ただ彼らを隔離することしかほとんど考えていない。この日本の福祉に頼ることはできなかった。龍良さんは、我が子が明るくいきいきと生きられるよう、家族のもとで育てる決意をした。そして、それには自然の中でできる農業がいい。これがフラワービレッジの、ひとつの大きなきっかけとなる。

 

ドイツで出会ったクラインガルテン

 

龍良さんはもともとは、商社マンであった。海外に行くことも多く、出張先の西ドイツで、クラインガルテンに出会った。

クラインガルテン。「小さな庭」という意味で、いわゆる市民農園のことである。市町村のもつ公共農地を休日は都会の人に貸し出すこのシステムは、ドイツを中心としたヨーロッパでは広く普及している。週末は都会の喧騒を逃れて土と触れ合う、という生活が一般化しているのである。

そして龍良さんが注目したのは、このクラインガルテンが、ドイツなどでは知的障がい者の社会参加のために活用されているということだった。

こうした制度を、日本にも取り入れられないだろうか。障がいをもつ長男との田舎暮らしを考えていた龍良さんは、このドイツのクラインガルテンの制度が頭から離れなかった。障がいをもつ人々がいきいきと社会に参加することができ、しかもそれは自分がかねてから考えていた農業ともつながっている。この制度は、まさに今自分の希望を叶えてくれるものと思えた。そして龍良さんはついに決心した。家族も賛成してくれた。長女のまなみさんは千葉大農学部に進み、農業研究生として西ドイツに留学した。

一家の夢がひとつとなった。

 

日本版クラインガルテンの実現

 

そして近藤家の夢実現への行動が始まる。連日、関東一円を中心に、中央官庁、群馬県庁、JR、民間関係企業などを訪ねまわり、自らの構想、「日本版クラインガルテン」の説明をする。協力も求めた。こうした中、かねてから龍良さんが参加していた「花と緑の農芸財団」(当時の理事長は長嶋茂雄氏)のバックアップも手伝って、ついのその候補地が見つかった。それがここ、群馬県倉渕村である。

かくして一家が倉渕村に移り住んだのが昭和63年。こんどは村そのものの賛同を得るべく、行動に出る。日本版クラインガルテンの構想を、村の人たちにとっての夢とするのである。

龍良さんは根気よく村の人たちに説明をしてまわった。シンポジウムも行った。(花と緑の農芸財団主催)かねてより若者の都市への流出によって過疎化が目立ち、その対策に頭を痛めていた村である。賛同を得るのにそう時間はかからなかった。村の農地の3分の1を占める遊休農地を有効活用できる。しかも、都市との交流によって村の活性化も図れる。この計画は、必然的に村の人達の夢となったのである。

そしてついに、「日本版クラインガルテン」は実現の方向へと動き出した。

 

 

それから10年近くたった現在、このクラインガルテンは、全敷地14000㎡の広さを誇る。ログハウス、キャンプ地、交流の広場となる体験実習館が作られ、週末になれば、都会の人が汗を流しにやってくる。平日などは、村の人達が農園の面倒をみるというクラインガルテン特有のシステムも充実しつつある。

平行して、花の生産も盛んである。園芸を本格的に学んだ長女のまなみさんのもと、生産だけでなく、加工や花壇の施工、イベントの飾り、ハーブの生産・・・とその活動は幅広い。サフィニアの委託栽培にいたっては、年間7~8万ポットの出荷を誇っている。

クラインガルテン、そして花の生産。ともに障がい者の雇用を行うことも忘れてはいない。

「障がいのある者も健常者も共に生きられる社会こそノーマルである」

龍良さんの当初の理念も根を下ろしつつある。

その現れとして、近年では、高崎市に設立されたリハビリのためのハウス「グリンピア」(香りの庭、の意)の、その運営に参加した。ハーブばかりのこの温室は、香りや触感などで障がい者の五感を刺激し、その治療に効果を発揮している。そして園芸は、他の治療法とは違った心の癒しの効果がある。

さて、今回、私たちはとある障がいをもつ方々の会の研修に同席させていただいた。

 

研修内容に続く~(長くなるので略します)

個人再生を勧める弁護士事務所のテキスト

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こちらは、弁護士事務所のサイトのテキストです。個人再生の説明を中心に書きました。トップページから、個人再生の内容や特徴についての説明、Q&A、個人再生利用者の実例など、内容は多岐にわたりました。

こちらでは、その一部を掲載いたします。

 

トップページ

 個人の力ではどうにもならない借金を抱え、過酷な取り立てに合う。

長引く不況によって、多額の債務を負い、会社を立て直すことができない。

 

払いきれない借金を抱えながらの毎日は、光のないトンネルの中を、手探りで歩いているようなものです。

私たちの社会には、多重債務の問題を誰にも相談できず、一人で苦しんでいる方がたくさんいます。

 

年間3万人を超える自殺の約4分の1は、借金などの経済苦を理由にしたものだといいます。

命を絶たないまでも、理不尽な自らの運命を呪った挙句の犯罪、夜逃げなどが後を絶ちません。

 

しかし、多額の債務に苦しむ方にまず、申し上げたいのは、

 

「解決できない借金はない」

 

ということです。

 

法的な手続きを踏めば、借金の問題は、必ず解決します。

そしてその結果、あなたの人生、あなたの会社は、前へと動き出すのです。

 

法的手続きの中でも、とくに「民事再生」では、あなたの債務を大幅に減らすことができます。

そして、自己破産のようにマイホームを手放すことなく、今ついている仕事を奪われることもなく、新たな再スタートを切ることができるのです。

 

社会は多重債務者に対し、とかく自己責任を問うてきますが、多重債務にいたる背景には国の無策による貧困、突然の病気、思いがけない連帯債務事故など、それを抱える個人に責任があるとは言えない要因が隠れていることが多くあります。

 

借金は、決してだらしのない一部の人間への「天罰」ではなく、誰にでも降りかかる恐れのある「天災」の側面があるのです。

 

たとえ自身のわがままによって借金を重ねた人であっても、その心を見つめなおし、再生を誓うならば、そこに許しとまだ見ぬ可能性があります。

 

まずは、勇気を出して弁護士に相談してみてください。

専門家は、必ずあなたにあった解決法を提示します。

その一歩が、大切なあなたの人生、大切なあなたの会社を立て直す大きなきっかけとなるのです。

 

個人再生についての様々な説明

・個人再生とは

もともと、資金繰りが悪化した法人を立て直すための法律である「民事再生」を、個人に向けて使いやすく整備したものが、「個人民事再生」です。(以下、個人再生)

 

自己破産のようにマイホームを失うことなく、かつ、任意整理よりも確実な方法として現在、多くの個人多重債務者に適用されています。

この個人再生といわれる手続きがどのようなものか、以下に解説します。

 

<個人再生ならマイホームを失わずに債務を大幅に減らせます>

自己破産では債務のすべてを手放すことができる代わりに、大切なマイホームも失ってしまいます。

しかし、個人再生では、住宅ローンを返すという条件でマイホームを維持し、債務を大幅にカットできます。

継続して安定した収入が見込まれることが適用の条件となりますが、それを満たす方は手続きを検討する価値があるといえるでしょう。

 

<債務カットの幅が大きく、確実です>

従来から行われている債務整理に、「任意整理」というものがあります。

この任意整理は、債権者と債務者の間の和解があってはじめて債務の減額が実現するもので、もし債権者に「イヤだ」と言われてしまえば、理想的な返済計画が立てられなくなってしまいます。

しかし、個人再生では、一定の条件(債務者の半数以上の反対、もしくは債権額の半分以上の反対がないこと)を満たせば、その返済計画はすべての債権者に及びます。

また、減額の幅も大きいので、返済はより楽になります。

 

<免責事由を問われない個人再生>

個人再生も、裁判所が介入する、法的強制力をもった手続きです。

よって、債務の減額は、免責という強い力をもって実現します。

この決定は債権者に一定程度の不利益を与えることから、当然、免責の事由が問われてしかるべきですが、個人再生の場合、その事由が問われません。

つまり、ギャンブルなどによって作られた借金であっても、免責の事由として認められるのです。

これは、自己破産とは大きく異なる点です。

自己破産の場合、ギャンブルなどの遊興によって作った借金の免責は認められないのがのが原則です。

個人再生は、「すべてを返すことはせずとも、一部をきちんと約束通り返済するならば、債務を大幅に免除しましょう」という、いわば許しの手続きなのです。

 

・個人再生をした場合の影響

個人再生によって債務が大幅に減ることはわかった。

では、今すぐにでも手続きを、といきたいところですが、このときに誰しも考えるのが、まわりの人への影響ではないでしょうか。

知人や職場に知られるのではないか。

家族に迷惑がかかるのではないか。

そういえば、この債務には保証人をたててしまった。どうなるのか・・・。

 

こちらでは、気になるその影響について記していきます

 

<職場や知人には知られたくない>

自分が多重の債務を抱えてしまったこと。そのために、破産は免れたものの、大幅な免責の手続きをしたこと。

こうした、本人の資質を誤解されてしまうかもしれない事実は、できれば第三者には知られたくないのが心情です。

しかし、個人再生では、自らが「私は免責しました」と言って歩かない限り、第三者にその事実を知られることはありません。

債務者は安心して今まで通りの社会生活を送ることができます。

 

<保証人はどうなってしまうのか>

今回は、支払が不能となった主債務者のすべての債務を負ってしまう「連帯保証人」への影響についてお話します。

個人再生では債務を大幅にカットしたのだし、その残債は主債務者である自分がしっかり払うのだから、当然保証人には何の影響もないだろう。

手続きの流れや性質から、ついそう考えてしまいがちですが、実はそうではありません。

主債務者であるあなたが決められた残債を支払うことが決まっても、カットされたはずの部分については、保証人に請求が行ってしまうのです。

たとえば、もともとの債が500万円あり、再生手続きによって100万円にまで債務が減額されたとしても、カットされたはずの400万円は、連帯保証人の債務となります。

保証人は自分にふりかかったその債務を支払わなければならず、それが困難な場合は保証人自身が破産や再生などの債務整理をすることになるのです。

ですから、連帯保証人になってくれた人に対しては、この事実をしっかりと説明する必要があります。

なお、連帯保証人が主債務者に代わって返済をした場合、そのお金を主債務者に請求することもできるのですが(求償権)、主債務者自身が個人再生をしているので、その求償権自体の金額も圧縮され、保証人は債務の一部しか取り戻すことができません。

このようなことから、保証人には事実を隠さず、誠意をもって対応すること求められます。

 

Q&A

Q:アルバイトやパート、派遣社員でも個人再生はできますか

A:はい。もしアルバイトや派遣社員であっても、その職場に継続的に勤務し、それによって生計を立てている事実があり、かつ今後も継続的、安定的に雇用が続いていくと見込まれる場合は、個人再生の手続きをすることができます。

 

Q:裁判所からすでに競売開始決定が来ていますが、今から個人再生手続きをして間に合いますか

A:はい、間に合います。

手続きの申し立てと同時に競売中止の申し立てを行えば、競売手続きの進行を止めることができます。

 

Q:個人再生でも過払い金の請求はできますか

A:はい、できます。

個人再生では、まず利息の引き直し計算で過払い金を計算し、最終的に算出された債務が減額の対象となります。

 

語句説明(簡単な語句説明だけでなく、その語句についての具体的な説明を書くことを求められました)

・ リ・スケジュール (り・すけじゅーる)

リスケジュールとは、債務の返済が困難になった場合、その期間を繰り延べ、月々の返済を減らす計画を、銀行などの債権者と話し合うことをいいます。略して「リスケ」と呼ばれています。

 

<リスケの交渉、実行は誠意をもって具体的に>

「もうこれ以上、支払ができない」

このような状況に陥ったときに選択する行動はいくつかあり、債務整理もそのうちのひとつですが、リ・スケジュール、略してリスケも、その選択肢としてあげられます。

具体的には、融資を行っている銀行に

・返済回数を増やすことで一回当たりの返済額を減額してもらう

・一定期間、金利のみの支払いをみとめてもらう

ことなどを交渉します。

住宅ローンの支払いが困難になった買主や、資金繰りの悪化した企業がこのリスケを利用し、家計の安定や資金繰りの改善を図ることになります。

しかし、このリスケは

「すいません、ちょっと支払いが苦しくなったので、返済条件を変えてください」

「はい、わかりました~」

といった簡単なものではありません。

リスケは、資金繰りや家計が悪化しているという事実を金融機関に認知させる行為であり、金融機関にとっては、リスケを行わなければならないような融資先は不安材料になります。

よってリスケの交渉は誠意をもって行うことはもちろん、リスケをしたことによる改善の見通しを具体的に示さなければなりません。

 

・連帯債務 (れんたいさいむ)

連帯債務とは、複数の人が一つの債務を連帯して負うことをいいます。

その中の一人がすべての弁済を行えば、他の債務者は債務を免れることができます。

<連帯債務と連帯保証>

連帯債務という言葉からわかるように、これは、ひとつの債務に対し、複数人が連帯しあて債務を負うことをいいます。

たとえば500万円の債務があったとして、その債務の全額についてAとB、二人が同じように同じ立場で返済の義務を負うということです。

よって債権者は、債務500万円の限度の中で、Aに500万円を返してくれと言えますし、Bにも500万円返してくれと言えます。

この連帯債務は、住宅ローンの契約に適用されることが多く、経済力の弱い買主にとっても、選択肢のひとつとなります。

この場合、銀行に複数人の資力を担保させることで、借り入れを可能としているのです。

 

一方、連帯債務に似た言葉に、連帯保証があります。

これは、主債務者が返済不能となってはじめて、その債務のすべてが保証人に降りかかるという性質のものです。

よってこちらのほうが、連帯債務より担保の力は若干弱いものとなります。

(ただし、連帯保証人は、主債務者の債務不履行により、債務の全額を支払う義務を負うので、その責任はとても重いものです)

 

つまり連帯債務は

「一緒にこの債務を負担しましょうね」

というもので、連帯保証は

「私が返せなくなったら、あとはすべての債務を負ってね」

という性質のものと言えます。

 

 

50代の再就職

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こちらの記事は、再就職を目指す50代の方に向けた記事です。

自然な流れで転職サイトの利用を勧める記事を依頼されて書きました。(その際、決してハローワークを批判することのないようにとのご指示でした)

 

求人そのものがない?50代の転職事情

 

2007年に雇用対策法が改正され、企業が年齢によって雇用を制限することは違法となりました。

事業主は、労働者の募集、採用にあたっては、その年齢にかかわりなく、均等な機会を与えなければならない」

 

中高年にやさしい社会の訪れです。

 

しかしその後、中高年の雇用をめぐる環境は良くなったといえるでしょうか。求人広告の「年齢不問」を信じて募集に挑んでも、「○○歳です」と年齢を告げたとたんに「申し訳ありませんが・・・」の返答。法的に年齢制限が禁止になったからといって、企業の求める人材の年齢が上がるわけではないのです。

 

企業の求人における本音は、ほとんどが40歳以下、まれに45歳まで。50歳以上の求人は皆無に等しいのが現状です。

 

「50代に、顕在的な求人はない」

 

言い過ぎかもしれませんが、この自覚をすることから50代の転職への真剣勝負が始まります。

 

50代こそ、経験を生かせ

 

50代には、表だった求人がほとんどない。では、どこに50代のための空席があるのでしょうか。

 

よく、「若い人には負けていられない」と、無理をして職歴に関係のない資格をとったり、パソコンを完璧にしなければと焦る中高年の方がいますが、その席には、あなたが慌てなくとも若者が座ります。若者には育成にかけるお金も時間もあるからです。

 

企業があなたに求めるのは、そのような転職対策用の「間に合わせ」のスキルではありません。

 

長い職業経験によってでしか手にすることのできない、50代ならではのスキルです。

「今、この時にこの人は、具体的に何ができるのか、わが社でどんな力を発揮してくれるのか」

 

企業はそこを見ています。

 

あなたの長い職業経験によって培われたスキルは、若い人にはない強みです。この強みを生かした活動こそが、50代の転職を成功させるカギとなります。

 

企業が求めるのは、「今、役に立つ具体的なスキル」

 

この視点をもって、も一度50代の転職について考える必要があります。「役に立つ」という言葉の裏側には、企業にとって何かしらの困りごと、不安材料があることを意味します。企業はその困りごと、不安材料をとりのぞくべく、はじめて年齢に関わりなく人材を採用するのです。

 

・新規開拓がうまくいかず、営業実績が伸びない

・人材を育成できる上司がおらず、若者が育たない

・在庫の調整、管理が上手くいかない

・的確なクレームを処理する人材がいない

 

という問題があったとして、こうした困りごとが存在するところに空席があります。この空席を埋めるのは、職業経験に裏打ちされたスキルをもつ、50代のあなたです。

 

・営業部において、長年新規開拓をしてきた実績がある

・人事部で、人材採用と育成に携わってきたことで、人を見る目がある

・メーカーで、季節や市場の動向に合わせた在庫調整、管理を的確に行ってきた

・長年のクレーム処理を通じて、顧客満足に必要なことがわかる

 

こうしたスキルを、企業は50代のあなたに求めているのです。

 

転職のプロが見つけ出す、あなたのスキル

 

では実際には、どのような形で転職活動を行えばいいのでしょうか。

 

方法として、行政機関であるハローワークに通う、民間の企が運営する転職サイトや転職エージェントを利用する、などがあります。

どのサービスを使っても転職活動はできますが、その前にハローワークと民間のサービスの違いを知る必要があります。それは

 

「企業がお金を払って求人活動を行っているかどうか」です。

 

ハローワークの場合、基本的に企業が求人登録をするのに、お金はかかりません。このためハローワークには、本気で求人をする気のない企業も存在しています。

 

一方、転職サイトに求人を載せるには、企業はお金を払わなければなりません。つまり、お金を払ってでも人を雇いたい企業だけがこのサービスを利用しており、転職サイトを運営する側も、企業や転職希望者を責任をもってサポートしています。

 

よって、転職サイトはサービスが充実しています。プロのアドバイザーが本人も気が付かなかったスキルを見出し、それに基づいたアドバイスを行う。そしてそのスキルを登録し、そのスキルを欲しがる企業とのマッチングを行う、など、一人で転職活動を行っていては得ることのできない、的確なサポートを受けることができます。

 

 

 

人物取材 植物を愛する女性への取材

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園芸を扱う出版社に在籍しているとき、植物を愛するご高齢の女性を訪ね、お話を伺いました。私にとって、とても実のある時間でした。

長い記事ですが、今回は全文を載せることにしました。

 

植物とともにある生活

「植物は自分の分身ですね。他の人が見てもわからないかもしれないけど、自分にはわかるのよ。自分に元気がないときは花も元気がないの。こちらが話しかけなくなるから。どんな野草でも大きな木でも、それは同じですね。それに自分の嫌いな木は決して育たないの。」

 小雨の降る三月の日曜日、陶磁器の店「○○」で、楽しい話に花が咲いた。

 今回お話をいただいたのが、82歳になる○○さん。20年以上前に山歩きをはじめたのがきっかけで、そこに咲く山草に興味を持ち始めた。現在おひとりでお住まいのお宅には、スミレやヒトリシズカカラスウリ、エンドウマメ・・・とたくさんの山草があるという。

 ○○さんはときおりこの陶磁器のお店に顔をだしては、自らが育てた草花を飾ってくれる。この日も、白と、渋い赤のクリスマスローズ、食べるより見るのが楽しいとおっしゃっていたフキノトウ、そしてワビスケが、陶磁器の中に飾られていた。その素朴な草花は、土という自然で作られた陶磁器とよく合い、店は和やかな雰囲気となっていた。

 「山歩きは20年前からしていました。今はもうやりませんね。足元が危ないと人さまに迷惑しちゃうでしょう。私は一人歩きが好きだから見つからないようにあの世に行っちゃえばいいけどね、見つかっちゃったら気の毒しちゃうでしょう。」といって素敵な笑顔を見せてくれた。山歩きの思い出はいつまでも鮮明だ。

カラスウリがあったり、山ブドウがあったり、うれしくってうれしくって、キャーキャー騒いじゃった。今はカラスウリは里にはほとんどありませんね。八ヶ岳にはコマクサが岩かげにいっぱいありました。持って帰りたかったけど、そこの温度と下界の温度は違うので、とってこなかった。良かったーという思いだけで過ごしたの。育たないと思うものはとってきません。コマクサの花が、大きな岩とか石ころのあいだからでていたのは何とも言えない良さで、この世界にいってみたいなーと思いました。」

 ○○さんは鎌倉なら隅から隅まで行った。休みの日は山や鎌倉に行き、祭日も山へ行った。だから日曜日もほとんど家にいなかった。山歩きをやめた今、日曜日にゆっくりできることがうれしいという。○○さんは神社やお寺にもよく行ったという。

 「そうね、犬も猫も、トンボもカエルも、クモもハチもみんな大好きね。軒先も好きなのよ、あの形が。一番要注意なのが人間かな。」そう言ってくったくなく笑う○○さん。

 植物や動物などの生きるもの、そして地蔵や軒先などの動かないもの、すべてが○○さんにとっては自分を映し出す鏡となった。○○さんはそれらに話しかけ、見返りは求めない。そしてただ好きなところへ行き、好きなようにそれらに接してきたという。神社やお寺に行くのも決して信仰心からではない。

 「私は信仰っていう言葉が嫌いなのよ。それは他力本願のような気がするから。お寺に行っても、ものを頼んだことはないの。挨拶してくるだけ。こんにちは、ってね。何かお願いごとをして届かなかったら、自分が苦しいだけじゃない、それだったら言わないほうがいいのよね。」

 食の神様には、いつも米や野菜を食べてます、ありがとね、と呟く。家にある薬師如来やお地蔵様、エジブトに旅行に行った友人にもらった木彫りの人形も○○さんの対話の対象となる。しかし物体を物体以上のものと、過大評価はしない。話しかけるその言葉は、自分に対するものなのだ。○○さんは他人にも、ぐちをこぼさない。

 「本当は、ぐちりたいですよ。先は短いんだから何とかしてくれって、言いたくなるの。ところがそんなことを言ったところで、誰も、何もしてくれないでしょう。自分の心が頼りなのよ。泣くのも自分、笑うのも自分。だったら笑ったほうがいいや、おいしいものを食べたほうがいいや、ってなります。」

 戦時中、空襲がきて、布団だけもって飛び出した○○さん。釜もない、鍋もない、箸もない。それでもみんなが助け合って食べてこられた。○○さんは人間のその底知れないエネルギーを知った。一つの七輪を交代で使ってサンマを焼いて食べた日々には、辛い中にも楽しさがあった。当時禁止されていたワンピースを着、ハイヒールを履いて、髪の毛を伸ばせと言われても伸ばさず、自分に正直に生きてきた○○さん。物質的に豊かになったこの時代になっても、お金には執着がない。

 「まあ、その日一日なんとか暮らせればいいか、という感じなの。何の欲もありません。」

 人間関係についても、こんな話をしてくれた。 

 「人間関係は、易しいようで難しく、難しいようで、何かひとつつかめると、素晴らしいものなのね。嫌なヤツだな、と思っていても、いいところが見つけられて、それがこちらに響いてくればいいんだから。」

 そして人間の生涯はお祭り騒ぎとお通夜であり、人間という存在そのものには裏と表があるという。そこが植物と違うところなのだ。

 「植物やものには、一面しかないのね。人間のように裏、表がないの。自分が植物を育てながら、植物に育ててもらっていると思っています。植物は自分の鏡なんです。うてば必ず響いてくれます。」

 「朝、目が覚めたとき、『○○さん、目が覚めたよ、覚めなきゃいいのにな、覚めたのなら、しょうがないな、じゃ、行くか。』ってね、そう呟くの。そうして身軽にお地蔵様にお線香をあげて、お茶をあげて、仕事に行くの。」

 淡々と流れていく日々を、人は精一杯生きている。今日のこの日を○○さんと過ごせたことに感謝した。

起業した女性への取材

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地域情報サイトにて、その街で起業をした女性を取材し、紹介しました。

家庭があり、子どもがいても、やりたいことをあきらめない女性たちの魅力とその生活、考え方などを記事にしました。

今回は、リード(導入の部分)をいくつか紹介します。

※リードの後は、Q&Aが続きました。

その他、ある1週間のスケジュールなどを載せ、子どもをもちながら起業をめざす女性の参考になるようにページを構成しました。

 (プライバシー保護のため、一部内容を変更しております)

 

●こちらは、ひとりで事業所を立ち上げ、子育てアドバイザーとして悩める母親たちの力となっている女性の記事のリードです。

 保育士として働きながら、多くの子育ての悩みに接し、その相談に応えてきた◯◯さん。

「もっと身近なところからアドバイスができれば・・・」

 本当の問題は家庭の中にあると気づいていた彼女は、施設勤務ののち、たった一人で事業所をたちあげました。

 

「家庭療育」

 

各家庭に訪問し、お母さんやお子さんにとって本当に必要な支援を探ります。

 家庭でのありのままの姿に、じかに接することでしかできないサポート。

 「この支援を必要としている人がひとりでもいる限り、絶対にあきらめません」

子どもが好き、という彼女の優しいまなざしには、強い使命感が宿っています。

 

・こちらは、スクラップブッキングの教室を開いている女性の記事のリードです。

子どもたちのキラキラの笑顔。家族のいきいきとした瞬間。

そのかけがえのない時を、アルバムをつくりながら感じ、残していくスクラップブッキング。

◯◯さんは、息子さんの卒園アルバムを作ることで、思い出をみんなで形にしていく楽しさを知りました。

「すっかりはまってしまって」という彼女。

家族の思い出を残すことができて良かった!という生徒さんの声がなによりの喜びとなった今、アルバム作りの意義を実感しています。

 

・こちらは、プリザーブドフラワーアレンジの教室を開いている女性の紹介です

生花のような柔らかな感触、そして美しい状態を長く楽しむことができるプリザーブドフラワー

優れた加工技術によってもたらされる、その夢のような花の魅力に打たれ、本格的な勉強ののち、スクールを開いた◯◯さん。

資格をとることに戸惑いを感じながらも、「好き」という思いひとつで夢を実現させました。

美しい作品をつくりながら今、「この仕事をしていてよかった」と心から思える毎日を送っています。

 

 

 

早期英語教育ってどうなの?

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こちらは、早期知能教育を行っている教室のメールマガジンに執筆した記事です。

英語教育の必要性と、その開始年齢等についての具体的な考え方を記述しました。

 

早期英語教育ってどうなの?

こちらのメルマガでは以前、「ある特定の能力を習得するにはそれぞれに適切な時期がある」とお話しました。

その”ある特定の能力”、の中にはもちろん語学力も含まれているのですが、この「語学」を習得するのに適切であるといわれている時期は、みなさん、いつだと思われますか?

それは0歳から6歳までなんです。

そう聞くと、「やっぱり語学は小さいうちから始めないと身につかないんだ」と思いますよね。

でも、「0歳から」というのは、母国語である日本語についてのこと。

実は、外国語の習得に適切だといわれている時期は、6歳から9歳、という説が有力です。

「あれ?少し遅いんじゃない?」と思われた方、続きも必見です。

詳しくはこちらからどうぞ!

 

英語の教育、どうすればいいの?

臨界期と語学力の関係

 

中学校入学と同時に英語を習い始めたものの、最終的には実践的な英語力を身につけることができなかったのが、私たち親の世代。

「語学は早く始めないと、身につかない」と、身をもって感じていると思います。

 

ただ、そう思いつつも、英語力を身につけさせたい我が子に、いつ頃から、どんな環境を用意してあげればいいのか、どんなスタンスで英語を習わせればいいのかよくわからない、というのが私たち親の本音です。

 

一日中子どもを英語漬けにするわけにもいかず、むろんそんな環境も簡単には用意できず、一方では「早期に英語を習わせると日本語がダメになる」というようなこともささやかれたりしていて、「じゃあ一体私たちはどうすればいいの?」という状況です。

 

そこでヒントとなるのが、前出の「外国語習得に適切な時期は6歳から9歳」という説。

 

6歳といえば、小学校に入る年齢です。

 

このころには日本語での日常会話も身につき、子どもたちは犬のことを「犬」、そして歩くという行為を「歩く」ときちんと認識した上で会話ができるようになっています。

 

つまり、日本語の基礎は十分に出来上がっており、この「日本語の基礎」が出来上がってから、犬を「dog」、歩く、を「walk」と教え始めても遅くはないと思われるのです。

子どもたちは”日本語で認識しているものを英語に置き換える”という作業ができるようになっていますので、脳はスムーズに外国語を習得していきます。

気になる発音やリスニングなどの音の問題も、9歳までに英語に触れさせればよいといわれていて、英語の教育は6歳からでも、十分に間に合うのです。

 

ただ、このように書くと、「では幼児期に英語に触れさせてはだめなの?」ということになってしまいそうなのですが、そいういうことではありません。

幼児期に、週に何回か英語を習わせたり、日本語の一部を英語に置き換えたり、というような学習をすることは、外国語に対する抵抗感をなくし、英語という言語や異文化に慣れ親しむ素地をつくります。

 

つまり、幼児期に英語に触れさせると日本語がダメになる、ということではなく、”完全なネイティブの英語力を今すぐに”と要求するのでなければ、やみくもに焦ることはない、ということなのです。

また、臨界期は感受性期ともよばれ、あくまで吸収が良い時期、ということ。

この時期が過ぎてしまうと全く言語が吸収されなくなってしまう、というわけではなく、その後の努力によって、子どもたちは十分な英語力を獲得することができるのです。

 

外国語習得に必要な能力とは?

 

では、英語に触れさせる、ということのほかに、幼児期にできることはないのでしょうか。

 

今、臨界期という考えを取り入れ、多くの関心を集めているのが早期知能教育です。

 

その知能教育において、「伸ばしておきたい」とされる知能領域というものがいくつかあるのですが、その中に、図形、記号、と並んで、「概念」という領域があります。

 

この「概念」は、言葉を使って物を考えたり覚えたりする力のことで、外国語習得に必要な能力。

つまり、外国語習得のために必要な、基礎体力ならぬ、「基礎脳力」のことなのですが、この脳力がより育つのが、実は幼児期からなのです。

 

6歳になる前の幼児期から、この脳の「概念」の領域を鍛えていけば、6歳からの外国語の臨界期にスムーズに入っていくことができると考えられています。

 

知能教育という選択肢

 

ガイネン?知能領域?などと聞くと、なにやら難しそうな感じを受ける方もおられると思いますが、遊びながら、楽しみながらいろいろな能力を自然に育んでいく、というのが早期知能教育です。

 

語学習得のための選択肢として、気軽に知能教育の教室の門をたたいてみてもよいのではないでしょうか。

臨界期に培われた脳力は、年数がたったのち、 再び呼び起こすことができるともいわれています。

「脳の基礎体力」を育てることが、語学力をはじめ、すべての能力を高めるための第一歩のようです。